TOPページ史跡散歩>史跡説明
浅草橋周辺の26史跡説明
この史跡説明は台東区設置の現地説明板や同区発行の諸本、民間発行の史跡関係諸本、又、江戸地誌研究家の話を参考にしてまとめたものである。
(2) 浅草橋・浅草御門跡・浅草見附跡
江戸幕府開府に伴い江戸の町づくりが進められたが、江戸城防衛のため重要な拠点に見附門を設置したのもその一つである。神田川も次第に開削され、この浅草の地は日本橋から奥州・日光・水戸へ、又、江戸の古刹浅草寺(浅草観音)へ向かう重要な道筋にあたっていたので、幕府は寛永13年(1636)神田川の南岸、今の中央区側に浅草御門を設け、警護の役人も置いて見附門としたのである。(四ツ谷、市ヶ谷、赤坂御門等と同様江戸城三十六見附の一つである。)それゆえ浅草橋を含めこの辺りを浅草見附といった。現代の感覚だと、いわゆる'上野浅草'とは離れた場所であるのになぜ浅草がつくのかと不思議に思うが、江戸時代の浅草は現代より広範囲で、当時はこの辺も浅草の内だったのである。

【浅草御門悲話】 明暦の大火(明暦3年=1657)の折、小伝馬町牢奉行石出帯刀(たてわき)は一時囚人達を釈放した。が、門の番人は脱走囚と間違え門を締め切った。このため一般市民も避難路を絶たれ、ここだけで2万人の溺死者、焼死者をだしたという。

この浅草橋も江戸から明治を通し、何度も架け替えられ、現在の橋は昭和4年のものである。
又浅草御門も江戸幕府終焉に伴い明治初期に廃止された。