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浅草橋周辺の26史跡説明
この史跡説明は台東区設置の現地説明板や同区発行の諸本、民間発行の史跡関係諸本、又、江戸地誌研究家の話を参考にしてまとめたものである。
(3)柳橋
神田川が隅田川と合流する直前に架かる橋である。江戸期もここに架かっていた。
柳橋というと橋名より花街、柳橋芸者を誰しも連想するが、それは明治以降の話である。
橋そのものは元禄11年(1698)架けられた。神田川が隅田川に合流する所で、「川口出口の橋」と呼ばれていた。江戸期は浅草橋と柳橋との間の河岸が吉原通いの猪牙舟(ちょきぶね)や様様な舟遊びの船、それらを利用.する人々と船宿や料理屋で大いに賑わった。花街化したのは辰巳芸者で有名な深川花街が寛政・天保の改革で弾圧を受け、芸者達が次第にこちらへ移ってきてからである。かつては文人や画家に愛された所だったが、今その花街の面影は全くない。が、橋のたもとにある「亀清楼」はその名残の料亭である。

↑橋の欄干にかんざしの彫刻がある