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浅草橋周辺の26史跡説明
この史跡説明は台東区設置の現地説明板や同区発行の諸本、民間発行の史跡関係諸本、又、江戸地誌研究家の話を参考にしてまとめたものである。
(6)銀杏岡八幡神社(銀杏八幡)
社伝によれば、中世この辺は小高い丘で隅田川が間近に眺められた。11世紀初め源頼義、義家が奥州下向の折、河上より銀杏の木が流れてきたので地にさして勝利を祈願した。結果勝利をおさめたので再度この地を訪ねたら銀杏の枝葉が栄えていたので八幡を勧請したという古い社である。元和4年(1618)この地を福井藩の松平氏が拝領し屋敷を構え、邸内社として崇敬していた。享和10年(1725)屋敷は公収され福井町という町屋となった。銀杏は文化3年(1806)の江戸大火で焼失した。従って現在の銀杏は後世のものである。



【2012/5/28追記】
銀杏岡八幡神社大祭


JR浅草橋駅東口近くにある銀杏岡八幡神社では今年も6月2・3両日に例大祭が執り行われる。
当神社の御祭礼は江戸時代には8月15日に執り行われていたが、明治の中頃より6月15日にかわり、現在は原則として6月の第一土曜日・日曜日に執り行っている。
土曜日には各氏子町会の神輿が出されるが、日曜日には隔年毎に本社神輿が出され、勇壮に氏子5ヶ町を担ぎ渡されていく。
昨年は東日本大震災の被災地に配慮し神輿は出なかったが、今年は本社神輿が出される大祭に当り盛大に本社渡御が行われる。本社神輿の順路および予定時間は以下の通り。
  8:30  宮出し
  9:00  浅草橋一丁目西町会
  10:20  新福井町 町会
  11:30  浅草橋3丁目町会
  12:00  宮元 町会
  12:50  宮入り

銀杏岡八幡神社の創建は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向う途中、小高い丘であった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願をし、その帰途、康平5年(1062年)に当社を創建したと伝えられている。
江戸時代に入り福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったものの、享保10年(1725年)公収され町内(福井町)の産士神となったと云われている。明治維新後には村社に列格していた。
  御祭神  誉田別皇命(ほんだわけのみこと)
       武内宿称命(たけのうちすくねのみこと)

また当神社は江戸子守唄との関係が深い。江戸時代に伝わった我が国の子守唄やわらべ歌は釈行智(1778〜1841)によって今日高く評価されている「童謡集」を集成されたが、釈行智は享和3年(1803)当社の別当寺であった覚吽院(かくうんいん)にて阿光坊と称して、後に住職になった人物である。
行智は収録した子守唄を「寝かせ唄」「目覚め唄」「遊ばせ唄」などと細かく分類し、子供の暮らしの背景がよく解かるように書き残すなど、その伝承に努めた。